【作者の人間性で作品を見る人へ】作者と、作品から受けた思いは本来別物である。
とある作品が、原作者の発言でアニメも小説も停止したと聞いた。
— VCEOミンミ@ラボ ランドシャフト (@Lab_Landshaft) June 7, 2018
いや、作品と作者は別だから。 https://t.co/97BKQZMSjo
どんなに人間的にあれこれ言われる作者が作った作品でも。
— VCEOミンミ@ラボ ランドシャフト (@Lab_Landshaft) June 7, 2018
その作品しか知らない人からしたら関係ないよね。
作品に感動して「また生きよう。」とか、学んでよい人生を歩めるかもしれない。
作者の人間性は、知ってしまうとどうしても作品にも影響させてしまう。
— VCEOミンミ@ラボ ランドシャフト (@Lab_Landshaft) June 7, 2018
作者のことを知って、悲しくなっても作品だけから受けたものも真実なんだよな。
作者が何を言おうと、作品から人々が受けたものは、そのままであるべきです。
とある小説を読んだときに、感動したり、わくわくしたり、時には人生をかえることもあるのです。
それを、作者の行動で止めてしまうのは、とってももったいない。
作品は、それ自体は製作者を映すことはない
たとえば、一切知らないし、接点のなかった作品を見る時。
振れたことのないジャンルの映画を見る時に、その映画の監督や音響監督の顔が浮かびますか?
「このシーンは、こんなこと考えてたかな?」などは浮かぶでしょう。
でも、その監督自身についてはわからないのです。
あくまで「”作品を作ったときの監督”」までしかわからない。
・・・。まあ、その作品をつくったときの監督が合わない人もいるとは思います。
でも、それもあくまで作品から受けたものの一つなのです。
作品と作者の関係性は「作品をつくったこと」しかない
はっきりと言うと、作者と作品の関係性は、
作者が、その作品を世にだした。
この一点しか、ないのです。
どれだけ、作者の人間性が世間的に非難されるものであったとしても、それと作品が存在してはならないことはつながらない。
よく「作品はこどものようなもの」という言葉が聞かれますが、まさにその通りなのです。
一度、世に作品を出してしまったら、それは作者の手を離れているのです。
作者がどんな人間か。それは、作品を作っているときだけ影響します。
しかも、作品は 作者そのもの ではないのです。
超極悪人のなかの、優しい思いだけを書いた絵本かもしれませんよね?
あるいは、悪意満載の小説家もしれません。
けど、どちらもその作品は存在していいのです。
作者は、作品を作った分の功績は受け取るべき
作品と作者は別だけど、作品を作ってくれたことに関しては作者は報われなければいけないとは思っている。
— VCEOミンミ@ラボ ランドシャフト (@Lab_Landshaft) June 7, 2018
作品を作ったことで報われない人が出てくると、最終的には作品が作られなくなるから。
とはいえ。
作者は、作品を世の中に出した時。
たった一つだけ、義務が生まれると思っています。
それは、作品を書いたことによる報酬を受け取ること。
報酬の中身は、名声だったり、金銭だったり。それはそれぞれでしょう。
しかし、受け取らない。ということは止めていただきたい。
もし、あなたが受け取らないと、その作品のジャンル。ひいては、作品を作った人たち全員が、次の報酬を受け取れなくなるかもしれないから。
だから、自分が許せないのは、作品を作った人が正当に評価されないこと。
某違法漫画サイトもそうですし、監督のてがらをすべて奪う某大手出版社も許せないです。
あくまで、作品と作者の関係は「作者が、その作品を世にだした。」の一点だけ。
そして、作品から作者へは「作品の評価を作者も受ける」ことは必要です。
作者から作品への「作者の評価を作品が受ける」ことは、本来は必要ないのです。