風景研究所【Lab Landshaft Offical Blog】

ラボ ランドシャフトの公式ブログです。

【作者の人間性で作品を見る人へ】作者と、作品から受けた思いは本来別物である。

 

作者が何を言おうと、作品から人々が受けたものは、そのままであるべきです。

 

とある小説を読んだときに、感動したり、わくわくしたり、時には人生をかえることもあるのです。

 

それを、作者の行動で止めてしまうのは、とってももったいない。

 

作品は、それ自体は製作者を映すことはない

 

たとえば、一切知らないし、接点のなかった作品を見る時。

 

振れたことのないジャンルの映画を見る時に、その映画の監督や音響監督の顔が浮かびますか?

 

「このシーンは、こんなこと考えてたかな?」などは浮かぶでしょう。

 

でも、その監督自身についてはわからないのです。

 

あくまで「”作品を作ったときの監督”」までしかわからない。

 

・・・。まあ、その作品をつくったときの監督が合わない人もいるとは思います。

 

でも、それもあくまで作品から受けたものの一つなのです。

 

作品と作者の関係性は「作品をつくったこと」しかない

 

はっきりと言うと、作者と作品の関係性は、

 

作者が、その作品を世にだした。

 

この一点しか、ないのです。

 

どれだけ、作者の人間性が世間的に非難されるものであったとしても、それと作品が存在してはならないことはつながらない。

 

よく「作品はこどものようなもの」という言葉が聞かれますが、まさにその通りなのです。

 

一度、世に作品を出してしまったら、それは作者の手を離れているのです。

 

作者がどんな人間か。それは、作品を作っているときだけ影響します。

しかも、作品は 作者そのもの ではないのです。

 

超極悪人のなかの、優しい思いだけを書いた絵本かもしれませんよね?

あるいは、悪意満載の小説家もしれません。

 

けど、どちらもその作品は存在していいのです。

 

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作者は、作品を作った分の功績は受け取るべき

 

 

とはいえ。

 

作者は、作品を世の中に出した時。

 

たった一つだけ、義務が生まれると思っています。

 

それは、作品を書いたことによる報酬を受け取ること。

 

 

報酬の中身は、名声だったり、金銭だったり。それはそれぞれでしょう。

 

しかし、受け取らない。ということは止めていただきたい。

 

もし、あなたが受け取らないと、その作品のジャンル。ひいては、作品を作った人たち全員が、次の報酬を受け取れなくなるかもしれないから。

 

 

だから、自分が許せないのは、作品を作った人が正当に評価されないこと。

 

某違法漫画サイトもそうですし、監督のてがらをすべて奪う某大手出版社も許せないです。

 

あくまで、作品と作者の関係は「作者が、その作品を世にだした。」の一点だけ。

そして、作品から作者へは「作品の評価を作者も受ける」ことは必要です。

 

作者から作品への「作者の評価を作品が受ける」ことは、本来は必要ないのです。