【自分は技術力や実績がないと思っている人へ】どんなに簡単な技術や実績でも誰かを喜ばせたら対価を受け取ろう
先に結論だけ言うと、貢献した人は、それに対する賞賛や栄誉を受ける「権利」と「責任」がある。もはや後者に至っては「義務」といってもいいかもしれない。
— スウ (@suh_mahou) 2018年5月6日
別に「自分はいらないから」って放棄することは簡単だけど、そんな人にひとつ聞きたい。
— スウ (@suh_mahou) 2018年5月6日
「後に続く沢山の人達が、本来受け取ることのできる評価や栄誉、報酬を自分のエゴで奪う覚悟はあるの?」
それと「自分は大したことない」って言ってる人。自分が沢山のひとに影響と感動を与えて、中には後に続く者もいるわけだけど、その人たちの動機を「大したことない」って切り捨ててる自覚はある?
— スウ (@suh_mahou) 2018年5月6日
その中には自分で機材を買ったり、時間を費やしたりという「財産」や「時間」、「人生」のようなものを賭けて取り組んでいる人たちもいる。
— スウ (@suh_mahou) 2018年5月6日
なぜかって?その道が「未来へ続く」と信じているから。
彼らが君に対して送っているのは「その技術」に対したものではないよ?
— スウ (@suh_mahou) 2018年5月6日
彼ら君を評価し賞賛しているのは「君が示した未来」という紛れも無い「功績」に対したもの。
彼らの驚きや感動。そして未来への希望とそこへ進んで行く姿を。君は、本当に「大したことじゃない」と切り捨てるのかい?
一連のツイートを自分なりの言葉にしてみようと思ったので今日は書きます。
簡単にいうと、
「誰かを喜ばせたら、使った技術や貢献なんて関係なく、ちゃんと相手からも受け取ろうよ」
ってこと。
〇「だって、今の私のやっていることなんて、すごいことじゃないもの!」「本当?」
「自分のやっていることなんて、すごいことじゃない。」
私もたまに言ってました。
実は、この記事を書いている自分も自分自身のすごいことに気づいてない。
だから、自分自身のすごいことを
人に教えてもらったり、何かをいただいたときは素直に受け取ろうと思っています。
火を使って料理を作ったら喜ばれる。という話
一例として、「火を出せる」という技術で話しましょう。
具体的な例として
「料理を作って、食べてもらって、ありがとうと言ってもらえたら嬉しい」
という流れです。
料理には、火を使うでしょう。
この場合の火をつける方法はなんでもいいのです。
- 火打ち石
- 炭火焼き
- ガスコンロ
- ガスバーナー
- オーブン(火でないけど、特別な加熱をしてる)
- 電子レンジ(火でないけど温めてる)
どんな方法で火をおこそうが、料理が出来て、食べて喜んだ人がいるのです。
なら、あなたの作った料理が嬉しい人が言った「ありがとう。」はそのまま受け取れませんか?
どれだけ規模が違っても、基本はこれなのです。
何かしたら、嬉しかったからお返しをして、受け取る。
どんな技術で火をつけようが、大事なのは結果と喜んだ人の声
火をつけられることに意味はないのです。
火打石ですぐに火をつけられる人も、
電子レンジしか使えない人も。
料理を作れるという点では同じなのです。
「でも、直火のほうがおいしいじゃない?電子レンジなんて温めてるだけじゃん。」
こういう人もいます。
直火じゃないからこそ、簡単だし、その分おかずをたくさんつくれるかも。
火起こししないからこそ、火が怖い人も安心して食事を楽しめるかも。
方法や技術はそれ自体には、実はなんの意味もないのです。
その方法や技術で、どんなことをするのか。
それこそ、大事です。
それは、受け取る側の人たちも同じです。
あなたのしたことの技術なんて、受け取る側は関係ありません。
暖かい料理が食べられたことに対して、「ありがとう」というだけなのです。
技術力や貢献度合いで、人と比較したり苦しんだりする意味がない
一流の料理人と、一般家庭の主婦。
火の使い方も、ほかの料理技術も違いますね。
でも、実は料理で家族を喜ばせられることは同じです。
「でも、味も雰囲気も違うぞ!デートだったら、母親の料理より一流料理店がいい!」
私は母親の料理でもいいと思うけど、そういう人もいると思います。
そして、その言葉はその通りでいいと思います。
彼女の前でいい雰囲気になりたいなら、一流料理店。
彼女とゆっくりしたいなら、実家の母親の料理。
そんな感じでもいいじゃないですか。
その場に必要なスキルが違うだけです。
大事なのは、料理で喜んでもらったこと、貢献したことに違いはないということです。
比べる意味がありません。
それぞれ、大事な思い出になりますよね?
自分のしたことで喜んでくれた人の「ありがとう」を受け取ること
ここまで、
「技術力の差や貢献度合いと、その技術や貢献で喜んでくれたことの違いはない」
ということを書いてきました。
だからこそ。
あなたのしたことで喜んだ人がいたなら、ちゃんと受け取ってほしいのです。
一流シェフにお金と感謝を伝えることも、
お母さんに日ごろの感謝を込めて「ありがとう」と花束を渡すことも。
同じです。
本当に、本当に、感謝している側からしたら同じなのです。
「あなたのしてくれたことが嬉しかったから、お礼をしたい。」
それだけなのです。
だから、応援したいと思っている人がいるときは、素直に応援を受け取ってあげてほしいのです。
自分もそうしています。
そうできるようにしています。
応援してもらったことを、無駄にしないように。